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喫煙と精神機能・パーソナリティ

上里一郎*1

 

はじめに

わが国では、喫煙の行動医学的な研究はたいへん重要な課題でありながら研究者の関心が薄く、研究は散発的に行われているのが実情である。

これまでの研究は、喫煙者の特性や喫煙の形成過程の研究と喫煙がヒトや動物の行動に及ぼす影響の研究とに大別できる。そこでこの2つの分野について、わが国の研究と海外の研究の主なものをとりあげて、これまでの成果をまとめることにする。


喫煙者の特性(パーソナリティ)

喫煙者がどのようなパーソナリティや行動様式を有しているのか、なぜ喫煙をするのかなどについての先駆的研究で研究者に大きな影響を与えたのは H.J.Eysenck である。

Eysenck ら1)は、「 The Causes and Effects of Smoking 」でこれまでの研究を集大成している。それによると、パーソナリティに関しては3つの類型因子が存在することが明らかにされている。

Royce 2)によれば、「内向性・外向性」、「神経症傾向・情緒安定性」、「精神病質性」の3つの次元である。そして,これらのパーソナリティ特性はどちらかといえば遺伝的に規定されるものであることが実証されている。しかし、注意しなければならないのは、これまでになされてきた研究の多くは、お互いが関連のないばらばらのものであったということである。サンプル、指標、解析などが適切でないために、結果の信頼性に難がある。これに対して、 H.J.Eysenck らの研究は卓越したものである。

Eysenck 3)は、 (1) 外向的なパーソナリティは大脳皮質の覚醒水準が低い。これに対して、 (2) 内向的な人は覚醒水準が比較的高い。これはおそらく脳幹網様体賦活系の機能によって媒介されているものと考えられる。 (3) 神経症傾向は情動性の差異であるが、これは自律神経中枢、あるいは大脳辺縁系によつてコントロールされている。これに対して、 (4) 精神病質傾向は性ホルモンに関連した内分泌器官のコントロール下にあるとの仮説をたて、これを実験や調査などで実証している。

これに対して、加藤ら12)は、企業職員と薬物依存者を対象に喫煙率、ヘビースモーカーの特徴、ストレス度、神経症傾向などについて検討している。そして、 (1) 神経症傾向の低いものほど喫煙率が高くヘビースモーカーが多い。 (2) 喫煙はうつ状態や不安の改善に有効である。 (3) たばこ依存の高い喫煙者ほどストレス対処行動が未熟であるなどの結果を得ている。これは、 Eysenck らの結果とは相反するもので、今後組織的な検討が望まれる。

平井ら13)の研究は示唆的である。平井らは、外向・内向、神経症傾向、不安などのパーソナリティ特性と喫煙行動との関係を検討している。そして、内向性あるいは高神経症傾向者は禁煙後に筋電図が低下し、さらに内向性者は喫煙時のニコチン吸入量が多く、高神経症者は吸入量が少ないことが明らかになった。内向性の人はニコチンの薬理的効果によって、神経症傾向の高い人は喫煙行動それ自体によってリラクセーションを得るのではないかという示唆は興味深い。この研究に続く平井ら14)15)の喫煙イメージを利用した研究は、方法論がユニークであり、たいへんレベルが高いと評価できるもので、今後の展開が期待される。

Eysenck らによると、喫煙者は外向的で神経症傾向が高く、精神病質傾向も高いという特徴をもっている。このことは、外向的な人ほどより高い大脳皮質の覚醒水準をもとめる傾向があり、そのためにニコチンのような物質を摂ることはきわめて効果的な手段であることを意味している。

つぎに、神経症傾向の高い人は低い人にくらべてたばこを吸う人が多いと予想されている。これは、喫煙者がいう「たばこを吸うと緊張が和らぎ、不安が軽くなる」という言葉でも裏打ちされる。ここに、たいへん矛盾することが起こる。つまり、外向的な人は覚醒水準を高めるために、神経質な人は覚醒水準を低くするためにたばこを吸うということが問題になる。しかし、この点は、ニコチンのもつ投与量が少ないと覚醒水準を高め、投与量が多いと覚醒水準を低めるという「相反する薬理作用」で説明できる。

H.J.Eysenck と K.O'Connor の研究4)はこの点について示唆的である。この実験では、ふだんの覚醒水準は外向的な人よりも内向的な人のほうが高いところにあり、たばこを吸うことで覚醒化へのポテンシャルが高められると、外向的な人では覚醒水準が上昇し適切なレベルとなるが、内向的な人では適切なレベルを越えてしまうと仮定している。覚醒水準を脳波の随伴性陰性変動( CNV )を指標に検討した結果の一部が図-1である。これは、喫煙による覚醒水準の変化がパーソナリティによつて異なることを示している。

Ashton ら5)は、随伴性陰性変動を指標に研究を重ねて、以下のような結論を出している。 (1) 紙巻たばこを吸うことで、人間の脳には促進的な効果あるいは抑制的な効果のいずれかがもたらされる。 (2) 紙巻きたばこを吸うことによる効果は、主として煙のなかに含まれるニコチンによる。 (3) ニコチンの投与量が増加するにつれて、人間の脳は促進と抑制という2つの反応を引き起こす。

しかし、ニコチンのもつこの薬理作用は単独に起こるものではなく、さまざまな状況と要因との関連で起こるのである。そこで、体内に取り入れるニコチンの量、覚醒水準に関係する要因、ふだんの覚醒水準の少なくとも3つの要因を考慮した研究計画が必要であろう。

神経症傾向(情動性)と喫煙の関係についてのアメリカでの研究は、必ずしも一致した結果が得られているとはいえないし、研究計画に問題があるものが多いということが多くの人によって指摘されていることは、資料を読む際に考慮すべきことであろう。

喫煙の動機・喫煙行動の形成過程

人はなぜ喫煙するのかについての研究は、これまでに数多く行われている。それらの研究で指摘されたものはいずれも一つの事実ではあるが、現段階では統合的な説明はまだできていないといえる。

初期の研究で、のちの研究者に大きな影響を与えたものに S.S.Tomkins の業績6)7)がある。 Tomkins は、喫煙は感情状態によって動機づけられるというモデルを提唱している。これによると、喫煙によって「不快」が解消されたり、「快い」という感情がもたらされるというのである。そして、喫煙者のタイプとして、「快」の感情を体験する者、「不快」を解消する者、感情的な体験を伴わない「習慣的な」喫煙者、学習によつて依存状態が獲得され、たばこを吸っていないことに気付くだけで不快な感情になる「依存状態」の喫煙者の4つのタイプをあげている。

小此木ら16)は、たばこの効用について、大脳生理学の観点から PSD ・ SS 理論を提唱しているが、この仮説の妥当性などはいま一つ明確でなく、これからの検証に待つしかない状態である。

喫煙は人間そのひとにあるもの、たとえば動機やパーソナリティだけではなく、環境などの外的要因によつても規制されている。外的な要因の一つに、たばこを吸いたいという欲求を引き起こす「状況」がある。

Best と Hakstian 8)はこの問題と取り組み、「神経の緊張」、「欲求不満」、「リラックス」、「不快さ」、「落ち着きのなさ」、「退屈」等が喫煙と深い関連をもっていることを明らかにしている。

状況を測定するための質問紙としては、いわゆるフリスの質問票が使用される。これは 22 の質問項目からなり、うち 12 は覚醒水準を高めるもので、残り 10 は覚醒水準を低めるものである(表-1)。この質問紙の因子構造を図示したものをみると、性の効果が見られる。図-2の結果は、男性が女性とくらべ覚醒水準が低いときにより多くたばこを吸うようになること、女性は覚醒水準が高いとより多く喫煙すること、ヘビースモーカーは覚醒水準を高める状況と低める状況において喫煙することなどを示している。

宮里ら17)は、飲酒時には喫煙量が増加するという現象の機序について検討している。飲酒はいわば人に快の状態をもたらすのに、なぜなおニコチンを摂ろうとするのかが課題である。指標としては、各種の質問紙調査、心拍数、血圧、脳波などである。そして、 (1) 喫煙者はニコチンを覚醒度の調節に利用している。 (2) 脳波では、非飲酒下での喫煙によりα1の減少とα2 の増加が認められ、これは飲酒により禁煙状態と類似の変化が生じて喫煙要求が高まり、喫煙にいたりやすいことを示唆しているなどの結果を得ている。

ストレスと喫煙行動

最近、ストレスと喫煙行動との関係をとりあげた研究が多く、このテーマに関心が集まっている。これは、人間がストレス状態におかれたとき、それにどのように対処するかが問題となっていることを反映している。ここでは、喫煙行動はストレスに対する一つの対処方略であるとの前提がある。

わが国では、加藤ら12)18)の研究が先駆的なものである。加藤らは、学際的なチームを編成して多面的な研究を展開している。それによると、 (1) ストレスの高い人は喫煙率が高い。 (2) 神経症傾向が重度喫煙を抑制する。 (3) 薬物依存者は喫煙率が高い。 (4) アルコール依存、うつ、抑うつ神経症、発作性不安神経症では、たばこ依存と関連が深く、喫煙は病態の改善に有効である。 (5) 身体化神経症では喫煙との関連性は見られない。 (6) 習慣的喫煙者であっても、必要に応じて我慢できるかどうかによって異なり、我慢できない人は精神的に不健康で、ストレスが多く、体調に問題がある(図-3)。 (7) 喫煙はストレスの軽減に有効でありリラックス状態を強化する。 (8) ストレス対処行動には、問題焦点型、緊張緩和型、未熟対抗型の3つのパターンがあり、禁煙者と習慣的喫煙者は未熟対処型行動が多い。などが明らかにされ、 (9) 研究を行うときには、多くの変数をコントロールする必要があると指摘されている。

野村ら19)20)も、喫煙をストレス対処行動としてとらえ、喫煙の役割について検討している。そのために、ストレスチェックリスト( SCL-R )を作成して、一般社会人に実施し、 (1) 喫煙は各種のストレス、対処行動、精神症状、身体症状と関連がある。 (2) ストレッサーの多い人ほど喫煙者が多く、喫煙本数も多い。また、喫煙本数が 41 本/日以上の群では、行動化、身体化、体験化のいずれでも高得点であり、ストレス度の高いことが示唆されている。 (3) 適度の喫煙はストレス対処行動としての機能を果たしている。 (4) 情動中心の対処行動がとれない人ほど、喫煙と飲酒行動へ向かう傾向があるなどの結果を得ているが、これからさらに慎重な吟味が求められる。

Bartol 9)は、女性の喫煙者の研究からつぎのような結果を得ている。外向的な人はストレス状況で喫煙するが、内向的なひとはストレスの少ない状況で喫煙する。ところが、神経症的な人は、いずれの状況でも喫煙願望がつよいのである。これは、研究を進めるのにパーソナリティ要因を含む諸要因をコントロールしなければならないことを示唆するものである。

喫煙がストレスの対処行動であるとすれば、禁煙はその人の対処行動を奪うことになり、禁煙することで新しいストレスが発生することになる。小此木ら21)-23)の研究はこの点に注目している。そのために、禁煙群、喫煙群、非喫煙群を設け、さまざまな指標について比較検討している。そして、 (1) ストレス対処行動として喫煙の代わりに摂食行動が選ばれているのではないか(仮説)、これは、禁煙群の体重の増加で明らかである。 (2) 禁煙者は、体重の増加は食欲の増加、胃の不快感の軽減などが関係すると認知している。 (3) 禁煙後の喫煙要求は、禁煙期間の長さよりも個人差のほうが大きい。 (4) 禁煙後に仕事の能率の低下を訴えるものがいるなどの結果を得ている。そして、喫煙と禁煙に関する調査票を作成しているが、これは有効な調査票の雛型として期待できる。

喫煙がストレス感受性にどのような効果をもたらすかも興味あるテーマであるが、吉見ら24)25)の取り組みは意外に少ない試みの一つである。この研究では、喫煙群に対して立位負荷試験、寒冷刺激試験、計算負荷などストレス状態を課し、各種の指標を用いて検討している。そして、断煙時のストレスホルモンの反応性の低下を認めているが、多くの課題が残されている。

ニコチンの抗ストレス作用については、栗原ら26)の研究が注目される。これは、動物を用いて周到な実験計画のもとに行われており、強力なストレスを負荷したときに誘発される学習性無力に対するニコチンの効果を検討している。ニコチンは、実験条件が適切であれば軽度の抗コンフリクト効果があるが、この実験のようにシャトル型非連続回避反応を利用した学習性無力では、効果を明確にとらえることは困難であるという結論を得ている。

疾患とリスクファクターとしての行動様式

ここ 20 年ほど、疾患に特有の行動様式(ライフスタイル)があり、この行動様式が発症のリスクファクターとしてある役割を果たしていることが関心を引いている。これは、行動医学という学際的な分野の発展と、健康障害への全人的な取り組みの必要性等が背後にあるものである。なかでも、冠動脈性心疾患とタイプ A 行動、がんとタイプ C 行動などはほぼ学会でも認知されたものといってよいであろう。わが国では取り組みが遅れていたが、 1989 年に開催された喫煙科学研究財団の国際シンポジュウム「心理社会的要因と健康障害」10)は大きな刺激を与え、これを契機に研究論文が目立って多くなった。このシンポジウムでは、 T.M.Dembroski (メリーランド大学教授)による「冠動脈性心疾患にかかりやすい行動様式研究の推移」、 L.Temoshok (ウオルターリード陸軍研究所主任研究員)による「心理社会的腫瘍学研究のための統合モデルを求めて」の講演があり、つづいて日本の研究者をまじえてのシンポジウムがもたれた。

この問題には、上里ら27)-30)、菊地ら31)-33)、河野ら34)-36)が取り組んでいる。

上里らは、疾患に特有の行動様式があるのか、それを測定するにはどうすればよいか、発症の予防のためにどのような介入が可能かなどをテーマに、一連の研究を展開している。その結果は以下のとおりである。 (1) 個人の生活満足感や生きがいは、ストレス、年齢、情緒的サポート、ストレス対処行動、性格などと関連する。 (2) タイプ A 行動者はコントロール不可能事態では自己効力感が低下するが、コントロール可能事態では逆に高くなる。 (3) 心身症者の行動・心理を心理・神経・内分泌の観点から把握するための調査票を作成した。 (4) 摂食障害には、痩せた体型が良く肥満した体型は良くないというイメージがあり、不合理な信念が強い。 (5) 認知行動療法で不安や不合理な信念などが改善される。 (6) 抑うつ状態は呼吸器系や疾病頻度など免疫機能に関係がある症状が有意に高いが、細胞性免疫では有意差が検出されなかった。 (7) 心身症に特有の失感情性を測定する尺度を作成したが、ドーパミン作動系の歪みのある群とない群とを判別することは困難であった。

菊地らは、循環器疾患(虚血性心疾患、本態性高血圧、消化性潰瘍、糖尿病など)の心理社会的特徴を明らかにしようとしている。対象者は大学病院の外来を訪れた男性の患者で、これに JMI(Japan Productivity Center Mental Health Questionnaire) 調査票を実施してさまざまな角度から分析し、 (1) 虚血性疾患者は几帳面で社交的で粘り強いが怒りやすい。一方で、共感性が高く、他者への配慮もみられ、職場への適応もよい。 (2) 敵意と対応する爆発性の高いものは、比較的に若年者に多く、 72% を占めている。 (3) 若年発症の虚血性心疾患とタイプ A 行動との関連性は深い。しかし、高齢者では関連が認められない。 (4) 年齢の因子がリスクファクターとしてのタイプ A 行動に関与している。 (5) 爆発性の高いものは、自覚症が多く、神経症的傾向があり、職場適応もそれほどよくない。 (6) 虚血性心疾患に特有なものは、心気症的で、かつ怒りやすく、瞬発性が高いなどをあげている。

河野らの探索は、たいへん広範なものであるが、まだ予備的なものといってよく、今後の貴重な指針が得られるものと期待できる。ここでは、悪性腫瘍について、ストレス、実態、クオリティオブライフ、受療行動、心理療法、ターミナルケア等多角的に検討している。わが国における精神腫瘍学のさきがけとなるものであるが、 (1) 肺癌の発症と経過にストレスが関連する。 (2) 完全癖、几帳面、自己抑圧的、責任感が強い、心配性などタイプ A 行動を示すものが多い。 (3) 術後のクオリティオブライフでは、身体症状や精神的な不安などがみられ、社会的な活動をするには5年程度の時間がかかる。 (4) がんの早期発見が遅れるのは失感情的傾向が関係している。 (5) 乳癌への全人的がん医療のプログラムの作成。 (6) がん告知は慎重に行えば有意義であるなどの結果が報告されているが、追跡研究が待たれる。

たばこ依存・ニコチン耐性

たばこ依存の問題をとりあげたものに加藤ら37)38)、柳田ら39)-41)がいる。

加藤らは、たばこ依存の実態を明らかにするために、男子喫煙者を対象に、内分泌機能、脳波、抗うつ剤の血中濃度抑制作用、たばこ依存の評価などを行っている。そして、 (1) 健康な男子喫煙者では血中 h-ANP(human atrial natriuretic peptide) および ADH(antidiuretic hormone) が有意に上昇し、思考過程の促進が認められた。 (2) 喫煙者は GHQ(The General Health Questionnaire) による神経症傾向には有意差がなかったが、 MPI(Maudsley Personality Inventory) では内向性と神経症傾向が高かった。 (3) FTQ(Fagerstrom Tolerance Questionnaire) によって、 37% がたばこ依存者と判断された。 (4) しかし、サンプルが異なると結果が全く逆になり、一般性のあるデータが得られにくい。 (5) ヘビースモーカーは、アルコールを好み、体力に自信がなく、内向的で神経症的であり、不安が高い。喫煙の動機は不安や緊張を解消するためである。 (6) たばこ依存は 30 歳代に最も多く、喫煙本数、起床後の喫煙、吸い込み、禁断の苦痛、病気時の禁煙不能などが関係することを指摘している。

喫煙の維持要因として、ニコチンの強化機能が重要な役割を果たしているということは、広く受け入れられている。その場合、ニコチンには精神依存性はあるが、身体依存性はないと考えられてきた。ところが、最近、身体依存性があるのではないかということが主張され始めている。前記の加藤らも、身体依存性が推定されると述べている。柳田らは、この点を解明しようとしている。そして、ラットやアカゲザルにニコチンを連続投与する実験を行ったところ、ラットの脳波に退薬症候と考えられる速波の可逆性の減少が認められ、全身症候に軽度の変化がみられた。しかし、アカゲザルでは、ニコチン自己投与実験でレバー押し比率累進実験を行ったところ、ニコチン前処置による強化効果の増強は認められなかったことから、ニコチンには身体依存性があるとしても非常に弱く、少なくとも他覚的に認められるような退薬症候は発現しないと述べている。つぎに、ニコチンの単位用量をかえて検討したところ、ニコチンの摂取量が増加し、ニコチン耐性または身体依存が形成された可能性を示すデータを得ている。また、ニコチンの吸収速度が喫煙の維持要因の一つとなっていることが証明できたという。

ニコチン耐性については、大原ら42)の研究がある。喫煙効果への急性耐性と喫煙条件との関係を明らかにするために実験を行い、2本の紙巻きたばこを 15 分間隔および 30 分間隔で喫煙する条件では、耐性は、自覚効果では現われるが、脳波、心拍数、血圧ではとらえることができなかった。

喫煙と精神機能

喫煙がさまざまな形で人間の精神機能に影響を与えていることは、一般論としては広く受け入れられている。この分野の第一人者といわれる D.M.Warburton は、「ニコチンとスモーカー」11)という総説のなかで、精神機能への影響をパフォーマンス(知覚、注意力、情報処理、学習と記憶、運動性アウトプット)と気分(不安、怒り)とに分けている。そして、ニコチンには、思考力や集中力を高める覚醒作用とともに鎮静作用があり、さらに抗不安作用や怒りの抑制作用があると総括している。

ニコチン投与後のパフォーマンスの変化の研究を概観すると、以下のようになろう。

知覚については、喫煙が知覚に影響するという裏付けは少ない。しかし、刺激に対する感受性が低下するという研究がある。

注意力については、ニコチンが脳波覚醒度を高め、注意の集中を増大させるということを支持するものが多い。

情報の処理についても、反応時間の短縮がみられ、効率的な処理に役立つことが示唆されている。

学習と記憶については研究も多く、しかも結果が多彩で概括しにくい。

記憶と情報処理過程については、大原ら43)-45)の研究がある。大原らは、1日 15~25 本の喫煙習慣のある人を対象に、 Color Word Test ( CWT )を用いて、いくつかの実験条件下で調査している。その結果によると、 24 時間の禁煙では情報処理能力の低下は著明ではなく、一方、アルコールは情報処理能力を低下させるが、これは喫煙で改善するという。ついで、被験者を1日 15~30 本の喫煙者とし、条件をかえて実験を実施している。そして、ニコチンが CWT 遂行能に促進的に働き、アルコールとの併用下ではさらに遂行能が高まることを実証している。これはニコチンが情報処理能力を促進し,アルコールは課題遂行時の葛藤を緩和するからであろうと推論している。さらに、情報処理の課題を連続加算とタッピング作業にかえて実施したところ、 (1) 連続加算作業は喫煙時に最も良く、禁煙により減少し、再喫煙で回復する。 (2) タッピング作業では喫煙と禁煙の効果には個人差がある。などを明らかにし、 (3) 喫煙の効果は課題の難易度によって現われかたが異なるのではないかと考察している。

安東ら46)-48)の研究は、短期記憶と喫煙の関係を究明しようしている。このグループは、動物を用いた研究で評価できる業績をあげているが、他の章に譲り、ここではヒトを対象としたものを取り上げる。まず、ヒトを対象とする記憶の測定法を提案している。これは、パーソナルコンピュータを利用して、画面上に 16 種のランダム図形のうちから4種のみを提示し、被験者はこれを記銘して、つぎに提示される8種の図形のなかから先に提示され記銘した図形を指摘させる方法であり、いわゆる再認法による記憶実験である。なお、記銘から再認図形の提示までの時間は2秒から順次倍増する。そして、最大記憶保持時間は、4~ 4,096 秒以上の範囲にあり、個体差が大きく、ランダム図形や実験の手続きに改良を加える必要があると述べている。この結果は、喫煙の短期記憶に及ぼす効果をみるための標準的な研究法を確立する必要があること、研究機関を越えた研究チームで取り組まなければ体系的な成果は得られにくいことを示唆しているといえるかもしれない。

つぎの研究では、刺激図形を改め、記銘図形を3種、遅延時間を1秒から倍増させるなど実験条件を変えている。そして、 (1) 最大記憶保持時間は個体差が大きい。 (2) 禁煙中は最大記憶保持時間が減少したが、喫煙後は増加した。 (3) 実験の方法に改善が必要であるなどの点を指摘している。そして、 16 種の刺激図形を赤・青・黄色の3色で構成し、また見本図形を記憶の手段として何らかのものに意味付けることができないように工夫して、研究法に改良を加えている。

岩崎ら49)は、ラットを用い、モリス型水迷路における場所学習を課題として、ニコチンの作用と加齢による認知障害への影響を検討している。その結果、 (1) ニコチンは用量依存的に場所学習を阻害する傾向がある。 (2) 老齢のラットでは、ニコチンの用量に依存して反応潜時が延長するなどが明らかにされた。しかし、用量や個体の年齢などについて吟味する必要があることを指摘している。

つぎに、岩崎ら50)51)は、逃避可能なゴールと逃避不可能なゴールを設けた空間弁別学習を課題として、ニコチンの効果を比較している。そして、 (1) 老齢群は習得が阻害される。 (2) 課題の習得と保持に対しては、ニコチンによる阻害効果も促進効果もみられないとしている。その後、 AF64A 脳室内投与ラットを被験体として実験した結果、学習障害がニコチンの用量に依存して改善されることを発見している。したがって、ニコチンの効果は、個体の条件(痴呆のモデルといわれるような重篤な障害がある個体か健康な個体かなど)やニコチンの用量、課題などによって異なることが予想される。

ニコチンが気分や不安に及ぼす効果についての研究も、その結果は単純ではない。しかし、これまでの研究を要約すると、ストレス下にあると喫煙者は不安を取り去るために喫煙し、そして、喫煙がストレスに対処するのに役立つことは、どの研究者でも一致している。同様に、喫煙が、いらだちや怒りを抑制する効果をもっていることも認知されているといえそうである。

おわりに

これまで、喫煙とパーソナリティや精神機能との関連性についての研究を概観してきたが、人間を対象とするものだけに、多くの要因が関係しており、しかも研究の標準的な方法論が確立されていないといわざるをえない。したがって、行動の法則と呼ばれるものを得るためには、体系的な研究と時間がさらに必要であろう。

*1 早稲田大学人間科学部人間健康科学科

 

文献

1) Eysenck,H.J., Eaves,L.J., Kasriel,J.(eds) The Causes and Effects of Smoking. Gower Publishing Company, Hampshire, 1980. 上里一郎(監訳)スモーキング-健康とパーソナリティ-. 同朋舎出版 1988.
2) Royce,J.R. The conceptual framework for a multi-factor theory of individuality. In: J.R.Royce(ed) Multivariate Analysis and Psychological Theory. London, Academic Press, pp.305-407, 1973.
3) Eysenck,H.J. Genetic factors in personality development. In:A.R.Kaplan(ed) Human Behavior Genetics. Springfield, C.C.Thomas, 1976.
4) Eysenck,H.J., O'Connor,K. Smoking arousal and personality. In: A.Remond, C.Izard(eds) Electrophysiological effects of nicotine. Amsterdam, Elsevier-North Holland.
5) Ashton,H., Millman,J.E., Rawlins,M.D., et al. The use of event-related slow potentials of the brain in the analysis of effects of cigarette smoking and nicotine in humans. International Workshop on the Behavioral Effects of Nicotine. Zurich, 1976.
6) Tomkins,S.S. Psychological model for smoking behavior. American J. Public Health 56:17-20, 1966.
7) Tomkins,S.S. A modified model of smoking behavior. In: E.F.Borgatta, R.Evance(eds) Smoking, Health and Behavior. Chicago, Aldine, 1968.
8) Best,J.A., Hakstian,A.R. A situation-specific model for smoking behavior. Addictive Behavior 3:79-92, 1978.
9) Bartol,C. Extraversion and neuroticism and nicotine, caffeine and drug intake. Psychological Reports 36:1007-1010, 1975.
10) 上里一郎(編) 心理社会的要因と健康障害.  広島大学. 1990.
11) Warburton,D.M. Nicotine and Smoker. Reviews on Environmental Health 5:343-390, 1985.

 


研究年報

12) 加藤正明、高橋 徹、山本和郎ほか ストレスと喫煙に関する学際的研究. 昭和62年度喫煙科学研究財団研究年報:725-743.
13) 平井 久、山中祥男、広田昭久 喫煙行動の変容過程における行動論的・精神生理学的研究. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:699-708.
14) 平井 久、山中祥男、広田昭久 喫煙行動の変容過程における行動論的・精神生理学的研究. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:747-753.
15) 平井 久、山中祥男、広田昭久 喫煙行動の変容過程における行動論的・精神生理学的研究. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:732-737.
16) 小此木啓吾、千葉康則、長谷川和夫ほか 行動パターン及び意識構造と健康状態との関連に関する研究. 昭和61年度喫煙科学研究財団研究年報:685-688.
17) 宮里勝政、川口浩司、長末晴夫ほか ヒトにおける喫煙の疫学的および精神薬理学的研究. 昭和62年度喫煙科学研究財団研究年報:489-497.
18) 加藤正明、高橋 徹、山本和郎ほか ストレスと喫煙に関する学際的研究. 昭和61年度喫煙科学研究財団研究年報:701-715.
19) 野村 忍、久保木富房 ストレス対処行動としての喫煙の特性. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:727-731.
20) 野村 忍、久保木富房 ストレス対処行動としての喫煙の特性. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:827-833.
21) 小此木啓吾、深津千賀子、中村瑠里子ほか 禁煙に伴う心的ストレスとその処理機構の解明. 昭和63年度喫煙科学研究財団研究年報:735-738.
22) 小此木啓吾、深津千賀子、中村瑠里子ほか 禁煙に伴う心的ストレスとその処理機構の解明. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:467-470.
23) 小此木啓吾、深津千賀子、中村瑠里子ほか 禁煙に伴う心的ストレスとその処理機構の解明. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:739-741.
24) 吉見輝也、田中一成、沖  隆ほか 喫煙のストレス感受性に及ぼす効果について. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:457-461.
25) 吉見輝也、田中一成、沖  隆ほか 喫煙のストレス感受性に及ぼす効果について. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:521-525.
26) 栗原 久、旭 聡夫、田所作太郎ほか マウスの学習性無力からみたニコチンの抗ストレス作用の検討. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:490-502.
27) 上里一郎、杉山善朗、佐藤 豪ほか 疾患とパーソナリティ(行動様式)の関連性、発病予防のための認知行動療法の研究. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:709-713.
28) 上里一郎、杉山善朗、佐藤 豪ほか 疾患とパーソナリティ(行動様式)の関連性、発病予防のための認知行動療法の研究. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:777-781.
29) 上里一郎、杉山善朗、佐藤 豪ほか 疾患とパーソナリティ(行動様式)の関連性、発病予防のための認知行動療法の研究. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:769-776.
30) 上里一郎、杉山善朗、佐藤 豪ほか 疾患とパーソナリティ(行動様式)の関連性、発病予防のための認知行動療法の研究. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:846-887.
31) 菊地長徳、笠貫 宏、内山喜久雄ほか 行動パターンと循環器疾患に関する心身医学的研究. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:776-780.
32) 菊地長徳、笠貫 宏、内山喜久雄ほか 行動パターンと循環器疾患に関する心身医学的研究. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:858-862.
33) 菊地長徳、笠貫 宏、内山喜久雄ほか 行動パターンと循環器疾患に関する心身医学的研究. 平成5年度喫煙科学研究財団研究年報:888-892.
34) 河野友信、富永 健、酒井忠昭ほか 悪性腫瘍に関する臨床精神腫瘍学的研究. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:754-776.
35) 河野友信、下妻晃二郎、酒井忠昭ほか 悪性腫瘍に関する臨床精神腫瘍学的研究. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:738-768.
36) 河野友信、降矢英成、菅原はるみほか 悪性腫瘍に関する臨床精神腫瘍学的研究. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:834-845.
37) 加藤正明、福井 進、岩根久夫ほか たばこの精神神経作用とたばこの依存の本態に関する総合的研究. 昭和63年度喫煙科学研究財団研究年報:703-716.
38) 加藤正明、福井 進、岩根久夫ほか たばこの精神神経作用とたばこの依存の本態に関する総合的研究. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:681-686.
39) 柳田知司、島田 瞭、高田孝二ほか 喫煙の維持要因に関する精神薬理学的研究. 昭和63年度喫煙科学研究財団研究年報:726-734.
40) 柳田知司、高田孝二、若狭芳男ほか 喫煙の維持要因に関する精神薬理学的研究. 平成元年度喫煙科学研究財団研究年報:416-423.
41) 柳田知司、高田孝二、若狭芳男ほか 喫煙の維持要因に関する精神薬理学的研究. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:436-441.
42) 大原健士郎、宮里勝政、西本雅彦ほか 喫煙条件とニコチン耐性の形成に関する臨床精神薬理学的研究. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:452-459.
43) 大原健士郎、宮里勝政、西本雅彦ほか 喫煙の記憶及び情報処理過程に及ぼす影響に関する臨床精神薬理学的研究. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:444-450.
44) 大原健士郎、宮里勝政、西本雅彦ほか 喫煙の記憶及び情報処理過程に及ぼす影響に関する臨床精神薬理学的研究. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:530-537.
45) 大原健士郎、宮里勝政、西本雅彦ほか 喫煙の記憶及び情報処理過程に及ぼす影響に関する臨床精神薬理学的研究. 平成5年度喫煙科学研究財団研究年報:706-713.
46) 安東 潔、広中直行、宮田久嗣 喫煙の精神機能効果に関する研究:ラツト、アカゲザル、ヒトにおける記憶とニコチンの効果. 平成2年度喫煙科学研究財団研究年報:422-435.
47) 安東 潔、広中直行、宮田久嗣 喫煙の短期記憶に対する効果に関する研究. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:489-502.
48) 安東 潔、広中直行、宮田久嗣 喫煙の短期記憶に対する効果に関する研究. 平成5年度喫煙科学研究財団研究年報:683-692.
49) 岩崎庸男、古川 聡 加齢にともなう認知障害に及ぼすニコチンの作用. 平成3年度喫煙科学研究財団研究年報:589-598.
50) 岩崎庸男、古川 聡、山田郁子 認知機能に及ぼすニコチンの作用. 平成4年度喫煙科学研究財団研究年報:503-511.
51) 岩崎庸男、一谷幸男、古川 聡ほか 認知機能に及ぼすニコチンの作用. 平成5年度喫煙科学研究財団研究年報:721-732.